ゲッティイメージズのマスターコレクショは、歴史を作ってきた人物、場所、瞬間を記録しています。

ところで、象徴的な写真とはどのような特徴を持つのでしょうか?写真が象徴的であるとは、何を意味するのでしょうか?ゲッティイメージズは、ライター兼アーティストで、文化批評家のエビエ・サルモンにお話を聞きました。

写真を展示すると、被写体と撮影者の両方の魅力を引き出し、崇拝の対象を創り出します。このことから、写真は(被写体をアイコンとして)象徴性を「記録」するだけでなく、作りだすとも言えます。

アイコンという言葉は、対象物をシンボル化することではなく、対象物に似ている特定の種類の象徴を指します。古いアルバムをめくると、愛する人たちの顔はもちろん、ビーチの天気が悪かったこと、髪形が時代遅れに見えたりと様々なことが浮かびます。一方、文章にはシンボル(記号)のような性質があります。古い絵葉書を見ると、名前は分かりますが顔は分かりません。いろいろな文字が集まれば、浜辺での一日の様子が浮かび、心に残った出来事を思い出させてくれます。文章で伝えるためには読み解かなければなりませんが、写真、絵画、フィルムは、記録したものの印象を直接伝えます。

「アイコン」には、第三の文化的な意味合いもあります。イメージ、人物、行動、対象物を説明し、明確な意味を伝えると同時に、明確とまではいえないまでも需要な、別のアイディアを示します。このようなものは、聖像(イコン)の領域です。宗教的なイメージ、人物、場面を描いた絵画です。イコンは、その人物の「代わり」を務めながら、崇拝の対象にも使用され、人々はイコンを使って神に近づくことができると考えます。このとき、「イメージと概念」と「サインとシンボル」の2つの役割を果たします。

 

1960年代を象徴する著名人

20世紀のポートレート写真、特にブライアン・ダフィーテレンス・ドノバンの作品は、象徴的な写真のパワーをはっきりと見せてくれます。ダフィーとドノバンは、デビッド・ベイリーとともにセレブリティ写真の中心的な存在でした。1960年代におけるセレブリティ写真の大流行は、1966年の「スウィンギング(活気あふれる)」ロンドンの登場と直接結び付いています。また彼らの鮮明なモノクロ写真は、19世紀の暗いセピア色から写真技術が急速に発展したことを物語っています。さらに有名な写真の中には、写真が持つ記録手段としての有効性のほかに、アートとしての可能性を示すものもあります。

愛国的なツイッギー

たとえば、ドノバンがツイッギーを撮った「Union Jack」の写真(1966年)です。基本コンセプトはシンプル。とびきり美しい女性モデルが、イギリス国旗の前でポーズをとっています。ただしこの写真のコンセプトは、本質的には「民族衣装」というテーマが変化したもので、この写真は英国に関連するものを単に見せているというのではなく、見る人にテーマを突きつけているのです。1966年には大英帝国は産業革命の強大な力が薄れていましたが、この写真は文化的な覇権を維持していることを主張しています。特定の国旗に「1966年を代表する人物」を配置して、イギリスだけを最新のファッション、最先端のデザイン、生身のセクシュアリティと関連させているのです。その結果、保守主義と禁欲からの社会的解放と創造性に方向転換したイギリスを、再度印象付けることになりました。

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広告のアイコン

ジョアン・コリンズ

ドノバンが撮ったジョアン・コリンズショーン・コネリーの写真では、このようなメッセージ性がさらに増幅しています。1966年と1962年の広告キャンペーンで、コリンズの写真はヴィダルサスーンに、コネリーの写真はスミノフウォッカに使用されました。どちらも構図が素晴らしく、広告の対象があまり明瞭ではないほどに顔を重視しています。女性がカメラの方を見ている、男性が飲み物を飲んでいるといったように、コンセプトもツイッギーの写真と同様にシンプルです。しかしもちろん、見るからにありのままを撮ったこれらの写真は、誰なのかがはっきりと伝わります。見ているジョアン・コリンズと、飲んでいるショーン・コネリーの具体的な写真です。

コネリーが飲むとき

国民的俳優ともいえる存在で、非常に知名度が高いため、彼の写真はただ目に入るだけではありません。見る人にさまざまなことを伝えます。例えば ヴィダルサスーンに行けば、映画スターのような華やかな生活を送れるかもしれません。スミノフウォッカを飲めば、ジェームズ・ボンドのように話し、戦い、女性と付き合うことができるかもしれません。

マイケル・ケイン

フランス人言語学者のロラン・バルトならば、このようなメッセージ性を「神話」の操作と呼ぶでしょう。つまり、「起きることを言葉にしない」で伝えるサインやシンボルの能力です。1965年にブライアン・ダフィーがマイケル・ケインを撮ってSunday Times紙に掲載された写真は、アイコンの持つこうした能力を、言葉を使わずに引き出しています。その写真は、顔半分が白く浮き出したケインのクローズアップです。ケインはカメラの向こう側にいる人を見ていて、話しかけようとしています。ここにいるのは若い俳優ですが、語り手であり、思想家であり、知的な人であり、代弁者でもあります。ここでのケインは特定の製品を宣伝しようとしているのではなく(もちろん、最新の出演映画は別として)、1人の俳優以上の存在です。誰でも彼の言おうとしていることを聞いてしまうでしょう。

それでは、象徴的な写真を構成するものは何でしょうか?

ジョン・レノン

この疑問は、写真を撮る動機と関連しています。写真技術の発展は、ビクトリア朝の人々が自分の「偉大さ」を保存し、記録したいと考えたこととから始まりました。写真の大きな利点は、偉大さや良さの印象を後世のために記録する手段を提供したことです。それは、著名人の写真にも引き継がれています。著名人が撮影されるのは、彼らが特定の分野のアイコン(象徴的な存在)だからです。多くの著名人を撮影したダフィーは、ジョン・レノン(1965年)とハロルド・ウィルソン(1966年)の写真も撮っています。どちらもレンズの前に立つための前提条件である社会的、文化的な地位を持っていました。そして、その名声ゆえに写真が撮られました。ダフィーとドノバンのポートレート作品について考えると、象徴的な写真のコレクションが見えてきます。つまり、写真を通して、時代の精神を見ることができると言えるでしょう。

さて、象徴的な写真を構成するものは何でしょうか。このような言葉を使用するには、形と内容の境界線に作品を置く必要があります。写真は、誰でも自由かつ簡単に利用できます。安価ですぐに手に入り、柔軟性があります。記録手段として見ると、写真のi印象が継続的な魅力を持つかどうかは被写体によるところが大きいでしょう。ただし、写真にはそれ自身に魔法のような要素があります。写真を見て、フレームに入れて、展示すると、被写体と撮影者の両方の魅力を引き出し、崇拝の対象を作り出せます。このことから、写真は象徴性(アイコンの性質)を「記録」するだけではなく、作り出しもすると言えるでしょう。1839年に数学者兼天文学者のサー・ジョン・ハーシェルは、星を効率的に記録する手段を開発するために写真の化学を研究しました。20世紀におけるセレブリティ写真の大流行は、ダフィーやドノバンのように人々が自分でスターを作り出す方法を見つけたことを示しています。